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木曜日。 お昼の一時過ぎにうっすら目を開けた。天気のいい日だった。

お昼ごはんを食べたあと気持ちよくなって眠ってしまっていたらしい。


目を覚ますと、なにかの書類を母親が読んでいた。
アキラに気づくと、ごく普通の母親がそうするように頭をなでてくれた。
親不孝かもしれないけど、なでてもらうなら先生がいいと思ってしまう。

「気分はどう?」
「……なにしてるの?」
「退院の書類読んでるのよ」

退院は土曜日だ。まだ少しだけどがある。でも、朝から変な胸騒ぎがずっとしていた。
胸の奥がざわざわしているのは、病気のせいじゃない気がする。


「アキラ、起きてる?」

「先生!」

そこへ、先生がやってきた。白衣に両手を突っ込み、いつもの調子な先生を見て安心する。
って言っても最近は毎晩会ってるから少し照れくさい。


退院がいやだとごねるアキラに先生は優しく治療を施してくれた。そのおかげで、そのときだけは嫌な気持ちにならないですんだ。

そんな患者のわがままにも先生は付き合ってくれていたのだ。夜勤続きで疲れてるはずなのに嫌な顔ひとつしないし、アキラの両親に告げ口することもなかった。


「先生、通院のことなんですが……」
「ああ。週一でじゅうぶんだとは思いますが……通えそう?アキラ」
「うん!先生に会いたいもん」
「いい子だね、それ聞いて安心した」
「本当によくしていただいて……感謝しております」

母親がまた頭を下げた。大人ってどうして頭を下げたがるんだろう。アキラにはわからない。悪いことしてないのにぺこぺこするのは不思議だった。先生もぺこぺこしてる。


もっとも、先生がアキラに対してやってることは「いいこと」ではないようなので、それで頭を下げてるように見えてアキラは内心ドキドキしていた。

それを抑えるために白衣の裾をひっぱった。
「なんだい?」
「明後日、先生もお見送りしてくれるの?」
「ああ、もちろんだよ」


「じゃあね、僕先生にお礼の手紙書いて――」
「それなんですけど、先生……」
母親が二人の会話に割って入る。その表情は穏やかではない。険しくもない。

ただ、困った顔でアキラをちらっと見たあとに先生を見た。

「実は……明後日は主人が迎えに来られないんです。さっき連絡があって」
「じゃあ……その次にしましょうか」
「いえ。明日ならお休みもらえるそうなので明日に……」


変な胸騒ぎの原因がわかったアキラの頬が、みるみるうちに紅潮していく。
それでも先生を困らせたくなくて、唇をかみ締めた。

「そうですか、じゃあ……」
口を開きかけた先生だが、アキラが裾を握っていたのを思い出す。

震えたアキラの指を、母親には見えないようそっと握り締めた。

「じゃあ、明日に退院ですね。事務に伝えておきます」




母親が帰ると、先生はアキラを最上階の談話室につれてってくれた。
もともと人気がない場所だったが、夕方になるとさらに人は減る。

壁に飾られてる絵画をボーっと眺めている先生の肩に、アキラは頭を乗せながらおんなじ絵画を見ていた


「お父さんは、先生のことが嫌いなんだ……」
「そんなことないよ……これ以上入院が長引くよりは、家にいたほうが回復が早いんだから」

「でも……僕になんにも言わないで……」
「早く学校に行きたいって、思わないの?」

その言葉は、いつもの先生にしては少し冷たく感じた。

先生にはたぶん、ほかの患者がいる。アキラの代わりも。

でも、アキラに先生の代わりはいない。

学校の友達に"治療"してもらったってたぶん気持ちよくなんかならない。
それに、こうやって隣にいるだけで安心できるのはだぶん先生だけなんだと思う。


「僕は先生といるほうがいい」
「そうかな……学校のほうが楽しいよ?サッカー部に入るんだろ」

目がしみた。なにかが入ったみたいに。
ごしごしこすると目の奥がちくちくして痛んで涙が出た。
ついでに胸の奥もちくちくして痛い。縮こまって先生に体を押し付けた。

「なんか、目に入った……痛い」
「えっ?まばたきしてみて」
「うん……」

先生があごをつかんで顔を近づけると、アキラはそのまま胸のなかに飛び込んでく。
「わっ、ちょっと……どうしたの」
「治療して……苦しいの」

白衣から見えるズボンのジッパーに手をかけた。先生はあわてて手首をつかむ。
尋常じゃない強さで、手はびくともしない。こんな優しい顔をしてるのに。


「ダメだよ。もうダメなんだ」
「どうして?特別な治療だって言ったじゃん!」

広い談話室に声が響く。キョロキョロあたりを見渡すと、先生はホッとしたようにため息をつく。
泣き出すアキラを抱きしめた先生の肩も震えていた。

「ダメなんだ……アキラは、もう治療は必要ない。退院するってことは、そうだろ?」
「やだ。退院しないもん」
「アキラ」

大きくはないが通った先生の声は、まっすぐ耳に入ってきた。
おそるおそる顔を上げると、悲しそうな先生の顔がそこにある。時折見せる、あの顔だった。

「ごめんなさい……」
「いや、先生も悪かったよ……アキラに治療したのは僕だもの」
そう言うと立ち上がって大きく伸びをした。
「今日、病室に行くよ。それで最後、いいな?」
「うん……ありがと、先生」

アキラは先生の手をとり、病室に戻った。




●あとがき●
母親とアキラの板ばさみにあってる先生です。自分がまいた種なのに……
あと少し、続きます。

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